こんまりさんが
「片付けは一気に終わらせてください」
って入っていたけれど、その“一気に”が3ヶ月~半年だと知り
「どこが一気にだよ!長いじゃないか!」
と、本気でつっこんでいた頃が懐かしい・・・
片付けってなかなか終わらないんですね。だから半年は“一気に”になる。
なんどもなんども、片付けたはずのところがこんもりと盛り上がって、
平らになったはずの棚のうえがいっぱいになっていて
もう、絶望しそうになったりします。
そこでふっと頭に浮かぶ言葉。英語学習の教材を開発している方の話です。これ、片づけにもいえますよね?ね?
「人の能力って斜めらせん状に伸びてゆくんです。昇って落ちて、また昇りながら。
英語を学んでいて、なぜか学力が伸びているどころが落ちているように感じるときがある。それはななめの螺旋の下の部分にいるとき。
そこでくじけずに淡々と学び続ければしばらくするとぐーんと伸びていきますよ。そしてまた落ちて、次はぐーんと伸びて、の繰り返しです。」
そうそう、だから、棚の上がこんもりになってもくじけない。
このこんもりは、前のこんもりとは違うのよ!
わたしがえらび抜いたもののこんもりなのよ!
見た目は同じようだけど違う。ちょっとづつ変化している。ここでくじけたらおしまいだけど、淡々とつづけていれば、本当に片付いていくはず。家も心の中も、私の人生のごちゃごちゃも。
なんかね、納得いかないこととか、怒りが収まらないこととか、いろいろあるわけです。
おおぶりのから小ぶりのまで。
たとえば小ぶりのだけど、息子とお出かけしたとき。
息子は独特のしぐさで、言葉みたいな歌みたいなのを口ずさみながら歩いているわけです。
母親の私がそばにいるときは周りの人は何も反応しないか、優しく声をかけてくれたりするわけです。
でも、3~4メートル離れて歩いていると、周りの人は母親の私がそばにいると気が付かないこともある。
そうすると、息子を見て指差したり、ひそひそ何か言ってくすくす笑ったりするんです。
で、母親の私がいることに気が付くとしらーっと知らん振り。
むっかーあああああ!
でも、どこにも気持ちを持っていけないわけです。まさか、くすくす笑ってた人の首根っこ捕まえて
「オラオラオラー!!!なんでわらったあー???言ってみぃ!」
ってやるわけにも行かないわけです。
(それに、わたしもこの子を産まなかったら、こういうときは一緒になって笑っていたはずだよ)
しかし、ここでふと思う“家に帰ってなんか片付けよう!”
狭いところでもちょこっと片付けるとすっきりして気持ちが落ち着く。
お買い物の後の一瞬の高揚感ではなく、ゆるーく心地よい気持ちが続いていくわけです。
不思議です。
生きる力もらせん状に伸びている気がします。
ありゃ、長々と、いい話みたいに見せかけたグチグチ話になっちまいました。すみません。
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